原石水晶アクセサリーにこだわる訳

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多くの方は、あえて原石のままの必要があるのかと思われるのでは。

もっと磨いて、綺麗にした方がアクセサリーらしいと。

アクセサリーとしてはそれが本来かもしれませんね。

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2つの理由があるのです。

一つ目は、原石のままでも美しいものをアクセサリーにしています。

小さな傷とかはありますが、

気にならないものを選んで、

水晶には手を加えずに済むようにして作品にしています。

好き嫌いはあるとは思います。

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もう一つの理由は、

表面の模様や成長過程でできた溝やクラックは、

この水晶の歴史であり、

ヒマラヤ水晶であることの一つの意味でもあると思うからなんです。

綺麗にしてしまえば、

とても特色が出にくいと思うのです。

この水晶も表面がとても凸凹しているのですが、

それがこの水晶の個性でもあるからです。

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この2つの理由から、

原石のまま、水晶には手を加えずに作品にしています。

そして、これは原石水晶であることとは直接関係ないのですが、

お守り水晶として身に着けて頂ければと思うからなのです。

お守り水晶として身に着けて頂くことは、

行動することで変化が起こり、

それを見守ってくれているということなんです。

自信を持って行動する、

自分に自信が持てるということなんです。

この水晶たちを手にするということ自体が、

行動するということですから。

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みんなが奇麗だ、素晴らしいというものは、

手に入れるにはハードルが低いですし、

すぐ忘れてしまうことが多いのです。

なかなか個性的なものを手にするのは、

思いと行動力がないと難しいです。

そのハードルを越えること自体が第一歩なのです。

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先にも書きましたが、

綺麗な水晶を選んでいますので、全くアクセサリーらしくないものとは違います。

個性を出すことができる、

そうすることで自分を持てるということです。

小さなことです。

けれど、その小さなことが大切なのです。

その積み重ねが自信へとつながるのです。

その積み重ねの一歩であってほしいと思っています。

作品はMinneさん内の"kyotonemunoki's gallery"やcreemaさん内の"京都ねむの木"に出品中ですので、見て頂けると嬉しいです。

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