占いは自分のためになるもの?
ご覧いただきありがとうございます。
誕生日占いや、星占いなど、テレビや雑誌でよく載ってますよね。
今日の運勢みたいに。
不特定多数に向けて書かれたもので、自分には当てにならないと私は思っていました。
(いいことだけは信用したり(笑))
昨日ふと考えたのです。
見ている人は大勢いるかもしれないけれど、”私も”見ているわけですよね。
ということは私に対して占った結果が出ているということなのかな、と思ったのです。
例えば、星座占いで言えば、
牡羊座なら今見ているその牡羊座の人に言っているわけで、不特定多数に言っているわけではないわけですよね。
当たる当たらない、信じる信じないはまた別の話で。
何らかの根拠を持って牡羊座の方を占っておられるわけですから、
牡羊座の人がその占いに気を留めることにより、
その人の生活が豊かになれば、それはとてもいいことなのではと思ったのです。
なぜ急にこの話を書いたかと言うと、

私はお守り石、パワーストーンアクセサリーを制作、販売しています。
私の扱っている水晶にはいろいろな逸話があります。
古代レムリア人の生まれ変わりの水晶だとか、古代アトランティスの知恵が詰まった水晶だとか。
それはそれで夢があって楽しいし、
その水晶を好きになるきっかけであっていいと思っています。
お守りと言うのは、その人がそのもの(石でも紙でも何でもいいのです)をお守りとして認めたことで、
自分の目標や願いを共有して行動を起こす手助けをしてくれるものだと思っています。
見守ってくれる存在だと。
それ以上の事は起きないし、起こりえないと思っていたのですが、
水晶の持つ特色を利用して、自分の気持ちを高ぶらせる、強くすることもありなのではと、
すなわちその水晶の特徴、逸話を信じることで変わることができる。
と、占いについて考えていて思ったのです。
謂れや”いわく”をもっと信じて取り入れて自分の生活がよくなるのなら、
それはそれで素晴らしい事とだと思ったのです。
うそや方便はダメですし、過大評価もNGですが、
見守ってくれる存在から、頼られる存在であってもいいのではと。
神頼みではないですが、
努力して最後の最後にすがるというのはありかなと。
この石を身に着けることで鬼に金棒だと信じられればいいのではと。

人は裏付けのない自信で生活していることがほとんどで、
それを支えるツールとでもいえばいいのでしょうか。
先にも書きましたが過大評価はダメですが。
コロナ禍でこの先、より不透明になっている現在、
神や仏にすがるのは当然ありですし、
お守り石にすがることもありではと思います。
力や安心感は神社仏閣よりも小さいかもしれませんが、
自分オンリーの”神様、仏様”ですから。
ちなみに私はすがってます。
信じるということをあまり斜め見しないで、
肯定的に捉えることでこれから先の生活がより積極的で豊かになるのではと思うのです。